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シニアが知っておきたい元パートナーのSNSを見る心理と向き合い方

スマートフォンを手にして、ふと開いてしまう元パートナーのSNS。かつて一緒に人生を歩んだ人の、今の暮らしぶり。見てはいけないと分かっていても、つい指が動いてしまう。そんな経験、ありませんか。

私たちシニア世代は、長い人生の中で様々な別れを経験してきました。配偶者との死別、離婚、あるいは若い頃の恋人との別れ。そして今、SNSという新しい窓を通して、かつての大切な人の人生を垣間見ることができる時代になりました。

今日は、なぜ私たちは元パートナーのSNSを見てしまうのか、その心の奥底にある気持ちと、どう向き合っていけばいいのかを、一緒に考えていきましょう。お子さんやお孫さんが同じ悩みを抱えている時の理解にも、きっと役立つはずです。

デジタル時代の別れと向き合う

私たちが若かった頃、別れた相手の消息を知ることは、そう簡単ではありませんでした。偶然の再会や共通の知人からの噂話くらいしか、情報を得る手段がなかったですよね。時間と距離が、自然と心の傷を癒してくれました。

でも今は違います。スマートフォン一つで、いつでも相手の近況が分かってしまう。これは、私たちシニア世代にとっても、若い世代にとっても、全く新しい経験なんです。

70歳の女性から、こんな話を聞きました。夫を5年前に亡くし、最近になって地域のスマートフォン教室でFacebookを始めたそうです。

「孫との連絡にと思って始めたFacebookで、40年以上前の元カレを見つけてしまいました。当時、親の反対で別れざるを得なかった人です。彼の写真を見て、時が経っても変わらない面影に、胸がざわざわしました。奥さんやお孫さんとの幸せそうな写真を見ると、複雑な気持ちになるんです。『もし、あの時結婚していたら』なんて考えてしまって」

この女性の目には、懐かしさと寂しさ、そして自分の選んだ人生への確認が混ざった感情が浮かんでいました。長い年月を経ても、人の心には消えない想いがあるものなんですね。

なぜ見てしまうのか、その深層心理

未練と確認の繰り返し

配偶者と離婚した65歳の男性は、元妻のInstagramを時々見てしまうと打ち明けてくれました。

「30年連れ添った妻と、5年前に離婚しました。性格の不一致が原因でしたが、今でも彼女が幸せかどうか気になってしまう。新しいパートナーと旅行している写真を見ると、胸が痛みます。でも同時に、その痛みが『まだ彼女のことを気にかけている証拠だ』とも思えて、定期的に確認してしまうんです」

長年連れ添った相手への感情は、簡単には消えません。愛情なのか、執着なのか、それとも習慣なのか。自分でも分からない複雑な気持ちを、SNSを見ることで確認しようとしてしまうんですね。

自分と比較してしまう心

68歳の女性は、再婚した元夫のSNSを見て、現在の奥さんと自分を比べてしまうそうです。

「彼の新しい奥さんは私より10歳も若くて、料理が上手そうで、おしゃれで。投稿を見るたびに『私には何が足りなかったのか』と考え込んでしまいます。40年近く一緒にいたのに、私じゃない誰かと人生を楽しんでいる姿を見ると、自分の価値を否定されたような気持ちになるんです」

この女性の悲しみは、とても痛々しく感じました。長年築いてきた自分の価値が、新しい相手との比較で揺らいでしまう。これは、年齢を重ねた私たちだからこそ、より深く傷つく部分かもしれません。

ちょっとした小ネタですが、SNSという言葉が日本で広く使われるようになったのは、2000年代後半からなんです。つまり、私たちシニアが60代を迎える頃に登場した、比較的新しい文化なんですね。だから、SNSとの付き合い方に戸惑いを感じるのは、とても自然なことなんです。

物語の終わりを求める心

72歳の男性は、長年交際していた女性と別れた後、彼女のブログをたまに見ると言います。

「彼女とは、妻を亡くした後、5年ほど付き合っていました。でも、お互いの子どもたちの反対で、結局別れることに。その別れ方が曖昧で、きちんとした話し合いもないまま疎遠になってしまった。だから、彼女のブログで『元気に暮らしている』と分かると、ようやく自分の中で区切りをつけられる気がするんです」

人間は、未完の物語を嫌う生き物です。特に、長い人生を歩んできた私たちにとって、きちんとした終わり方ができなかった関係は、心の中でずっと引っかかり続けるものなんですね。

SNSを見ることの危険性

深夜の習慣が招く苦しみ

66歳の女性は、寝る前に元夫のFacebookを見る習慣がついてしまったと話します。

「夜、一人でベッドに入ると、寂しさがこみ上げてきます。そんな時、スマホを手に取って、元夫のページを開いてしまう。彼が幸せそうにしている投稿を見ると、胸が締め付けられるのに、見ずにはいられない。まるで自分を傷つけるために見ているようなものです」

この行為は、現代特有の「デジタル自傷行為」とも言えるかもしれません。見ることで痛みを感じると分かっていながら、その痛みを確認せずにはいられない。孤独な夜には、特にこの衝動が強くなるようです。

終わりのない比較の連鎖

70歳の男性は、元妻の新しい夫について、SNSで詳しく調べてしまったと打ち明けます。

「彼の職業、趣味、友人関係まで調べました。そして、自分と比較してしまうんです。『あの人は私より経済力があるのか』『趣味が合うのか』。まるで、自分の人生が元妻の新しい選択に対する反論材料になってしまっている気がして、虚しくなります」

この比較は、自分自身を苦しめるだけで、何も生み出しません。でも、止められない。それが、SNSの恐ろしさなんです。

息子や娘、孫世代を理解するために

ここで少し視点を変えて、若い世代についても考えてみましょう。お孫さんが「元カレのInstagramを見ちゃって、辛い」と相談してきたら、どう答えますか。

実は、私たちシニアがSNSで元パートナーを見る心理と、若い世代のそれは、本質的には同じなんです。未練、比較、確認、物語の終わりを求める気持ち。これらは、年齢に関係ない、人間の普遍的な感情です。

だからこそ、私たちがこの心理を理解することで、若い世代に寄り添ったアドバイスができるはずです。「おばあちゃんも同じ気持ちを経験したことがあるよ。でも、見続けても苦しいだけだから、少し距離を置いてみたらどう?」といった、経験に基づいた優しい言葉をかけてあげられますよね。

心の回復への第一歩

視点の転換が訪れる瞬間

68歳の女性は、ある日突然、元夫のSNSを見る気持ちが変わったそうです。

「元夫が新しい奥さんと孫を抱いている写真を見た時、初めて『ああ、この人たちは本当に幸せそうだ』と素直に思えました。『私の元夫』ではなく、『この女性の夫、この子どもたちのおじいちゃん』として見られるようになった瞬間、心がすっと軽くなりました」

この変化は、とても大切な一歩です。相手を自分の所有物から解放し、独立した一人の人間として認める。長い時間がかかるかもしれませんが、この境地に達すると、心の平穏が訪れるんですね。

SNSとの距離を取る勇気

73歳の男性は、思い切って元妻のSNSアカウントをブロックしたそうです。

「最初は気になって仕方ありませんでした。でも、1ヶ月、2ヶ月と経つうちに、彼女のことを考える時間が明らかに減っていきました。SNSという窓を閉じることで、ようやく自分の人生に集中できるようになった気がします」

デジタルな繋がりを断つことは、現代においては勇気のいる決断です。でも、その勇気が、新しい人生の扉を開くこともあるんですね。

健全な距離感で見守る

もちろん、すべてのSNS閲覧が悪いわけではありません。

75歳の女性は、若い頃に付き合っていた男性のブログを時々読むそうです。

「彼は今、地方で農業をしながら、絵を描いているそうです。ブログには彼の作品や、畑で育てた野菜の写真が載っています。それを見ると、純粋に『良い人生を送っているな』と嬉しくなります。私たちは恋人としては合わなかったけれど、人間として尊敬できる部分は今もあります」

この女性の表情は、とても穏やかでした。未練や執着ではなく、かつて大切だった人の人生を、遠くから温かく見守る。これは、成熟した別れの形の一つだと思います。

デジタル時代の別れの作法

私たちシニア世代は、人生の大半をアナログな世界で過ごしてきました。だからこそ、デジタルな繋がりとどう付き合うかは、新しい学びの連続です。

大切なのは、SNSを見る行為が、自分を過去に引き戻しているのか、それとも前に進むための整理になっているのかを、自分自身で見極めることです。

もし、見るたびに心が痛み、眠れなくなり、今の生活に支障が出ているなら、それは警告のサインです。思い切って距離を置く勇気が必要かもしれません。

逆に、たまに見ることで「ああ、私は私の人生を歩んできたんだ」と確認でき、前向きな気持ちになれるなら、それは悪いことではないでしょう。

あるカウンセラーの方が教えてくれました。「大切なのは、SNSを見る行為そのものではなく、それがあなたの現在と未来にどんな影響を与えているかです。自分の心と正直に向き合ってください」。

失った関係に意味を見出す

結局のところ、元パートナーのSNSを見てしまう心理の根底にあるのは、失われた関係に「意味づけ」をしたいという、人間の根源的な欲求なのかもしれません。

長い人生を歩んできた私たちは、様々な選択をし、様々な道を歩んできました。その中で、選ばなかった道、失った関係、別れた人々。それらにどんな意味があったのかを、今になって振り返り、自分の人生物語の中に位置づけようとする。

これは、自然な営みです。人は、自分の人生に一貫性と意味を見出したい生き物ですから。

ただ、その作業が苦しみになってしまうなら、少し立ち止まって考える必要があります。過去を振り返ることと、過去に囚われることは違います。

前を向いて歩くために

67歳の男性は、こんな風に語ってくれました。

「元妻のSNSを見なくなって半年が経ちました。最初は寂しかったけれど、今は自分の趣味に時間を使えるようになりました。絵画教室に通い始めて、そこで新しい友人もできました。過去を見つめる時間を、未来を作る時間に変えたら、人生がまた楽しくなってきたんです」

この言葉には、大切な真実が込められています。私たちに残された時間は、限られています。その貴重な時間を、過去を見つめることだけに使うのか、それとも今と未来を豊かにすることに使うのか。選択は、私たち自身にあるんです。

若い世代へのメッセージを込めて

もしお孫さんが「元カレのSNSを見てしまう」と相談してきたら、ぜひこう伝えてあげてください。

「その気持ち、おばあちゃんにも分かるわ。見たくなるのは自然なことよ。でもね、画面の向こうに映っているのは、もう過去の人なの。本当に大切なのは、今のあなた自身。その人のことを見つめる時間があったら、自分の好きなことをしたり、新しい出会いを楽しんだりする方が、ずっと幸せになれるわよ」

私たちシニアの経験と知恵を、若い世代に伝えていくことも、大切な役割ですよね。

心の平穏を取り戻すために

スマートフォンの画面に映る、かつての大切な人。その画像は、実は私たち自身の心を映す鏡なのかもしれません。

未練、比較、執着、確認。そうした感情は、誰もが持つ自然なものです。でも、それに支配されてしまっては、今を生きる喜びを失ってしまいます。

人生の後半戦を迎えた今、過去と向き合いながらも、しっかりと前を向いて歩いていきたいものです。失った関係に意味を見出し、それを糧として、残された時間をより豊かに生きる。

元パートナーのSNSを見ることが、心の整理の一助になるなら、それでいい。でも、それが苦しみの源になっているなら、勇気を持って距離を置く。大切なのは、自分自身の心の平穏です。

画面の向こうにいるのは、もう過去の人です。でも、画面のこちら側にいるあなたは、今を生きています。その「今」を、どうか大切にしてください。

あなたの心に平穏が訪れますように。そして、残された人生が、温かく豊かなものになりますように。