シニアからのはるめくせかい

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熟年夫婦が見つけた新しい愛の形、何十年も一緒にいて気づいたこと

何も言わなくても、わかり合えていると思っていた

結婚して30年、40年、50年。長い年月を共に過ごしてきた夫婦には、言葉にしなくてもわかり合える「以心伝心」があると言われます。朝のコーヒーの濃さ、好きなテレビ番組、嫌いな食べ物。相手の機嫌が良いか悪いか、顔を見ればすぐにわかる。そんな関係を築いてきた私たちです。

でも、本当にそうでしょうか。

70歳の男性が、こんな話をしてくれました。妻と結婚して45年。子どもも独立し、二人だけの生活が始まって5年が経った頃のことです。ある日の夕食後、妻がポツリと言いました。「あなた、私のこと、本当はよく知らないんじゃない?」

彼は驚きました。45年も一緒にいて、知らないことなんてあるだろうかと。でも妻の目は真剣でした。その夜から、二人は改めてお互いのことを話し始めました。そして気づいたんです。「知っているつもり」と「本当に知っている」は、全く違うものだと。

今日は、長年連れ添った夫婦が、改めて見つけるお互いへの理解と尊重について、お話しさせていただきます。人生の後半だからこそ気づける、新しい夫婦の形があるんです。

「わかっている」という思い込みが、距離を作っていた

68歳の女性の話です。夫と結婚して42年。彼女は長年、夫の好きな料理、嫌いな料理をすべて把握していると思っていました。夫は魚が好きで肉はあまり食べない。煮物は甘めが好き。そう信じて、毎日の献立を考えてきました。

ところがある日、夫が友人と外食から帰ってきて、嬉しそうに「久しぶりにステーキ食べたよ。やっぱりおいしいね」と言ったんです。彼女は耳を疑いました。「え?あなた、肉はあまり好きじゃないって言ってたじゃない」

夫はキョトンとしています。「そんなこと言ったかな?僕は肉も魚も好きだよ。ただ、君が魚料理が得意だから、いつも『おいしい』って言ってただけで」

彼女は胸が詰まりました。40年以上も、夫の好みを決めつけていたことに気づいたんです。夫は文句も言わず、彼女の作る魚料理を「おいしい」と食べてくれていた。でもそれは、夫が肉を嫌いだったからではなく、彼女を思いやってのことだったんです。

その日から、彼女は夫に聞くようにしました。「今日は何が食べたい?」と。最初は照れくさそうにしていた夫も、次第に「今日は唐揚げが食べたいな」「カレーもいいな」と言ってくれるようになりました。

42年も一緒にいて、まだ知らないことがあった。その事実に、彼女は複雑な気持ちになりました。でも同時に、これから知っていける喜びも感じたんです。「まだまだ、この人のこと、知りたいことがあるんだ」と。

長年の沈黙が、実は「諦め」だったと気づく瞬間

73歳の男性は、妻との会話が年々減っていくことを「これが夫婦の自然な形だ」と思っていました。若い頃はあんなに話したのに、今は食事中もほとんど無言。でもそれは、お互いをわかり合えているからだと信じていました。

ところが、妻が病気で入院したとき、彼は初めて気づいたんです。病室で妻の手を握りながら、彼は思いました。「この人と、いつから本当の話をしなくなったんだろう」と。

妻が退院してから、彼は勇気を出して聞きました。「どうして、最近あまり話さなくなったんだろうね」。妻は少し寂しそうに笑って言いました。「だって、あなた、私の話を聞いてくれないんだもの。『そうか』『ふーん』ばかりで。だから、もう話すのやめたの」

彼は愕然としました。妻の沈黙は「わかり合えているから」ではなく、「もう伝わらないと諦めたから」だったんです。彼は深く反省しました。そして、その日から妻の話を、最後まで目を見て聞くようにしました。

最初は妻も戸惑っていました。でも、彼が真剣に耳を傾けていることがわかると、少しずつ話してくれるようになりました。近所の人のこと、テレビで見たこと、昔の思い出。何気ない話ですが、彼はその一つ一つが新鮮で、妻のことを改めて知る喜びを感じました。

「沈黙は金」という言葉がありますが、夫婦の沈黙は、時に金ではなく錆だったんです。錆を落とせば、また輝きが戻ってくる。70代でも、遅くはないんです。

定年後に初めて見えた、妻の一人の人間としての顔

67歳の男性は、定年まで会社人間でした。朝早く家を出て、夜遅く帰る。休日も接待ゴルフ。家のことは妻に任せきり。彼は「妻は主婦として完璧だ」と思っていました。

定年後、初めて毎日を妻と過ごすようになって、彼は驚きました。妻には妻の生活があったんです。週3回のヨガ教室、月1回の読書会、近所の友人たちとのランチ。妻は「主婦」という役割だけの人ではなく、自分の趣味や人間関係を持った一人の女性だったんです。

ある日、妻が読書会から帰ってきて、目を輝かせながら本の話をしました。彼はその表情に見とれました。結婚して40年、こんな妻の顔を見たことがなかった。いえ、見ていなかったんです。彼が見ていたのは「妻」という役割だけで、一人の人間としての彼女を見ていなかったことに気づきました。

それから彼は、妻に聞くようになりました。「その本、面白かった?」「ヨガって、どんなことするの?」。最初は不思議そうにしていた妻も、次第に嬉しそうに話してくれるようになりました。

そして彼は気づいたんです。自分も妻から「夫」という役割でしか見られていなかったことに。妻は彼の仕事の話を聞いたことがなかった。彼の趣味も、悩みも、夢も知らなかった。

二人は改めて、お互いのことを話し始めました。今まで話したことのないことを、たくさん話しました。仕事での苦労、子育ての不安、親のこと、友人のこと。40年の結婚生活の中で、初めて一人の人間同士として向き合った気がしたそうです。

ここで、少し面白いエピソードをお話しします。この男性が妻のヨガ教室について聞いたとき、妻は「実は始めたのは20年前なのよ」と言ったんです。彼は驚きました。20年も!彼は全く気づいていませんでした。妻は笑って「だって聞かれなかったもの。あなた、私が何してても興味なさそうだったから」。彼は恥ずかしさと申し訳なさで胸がいっぱいになりました。でも同時に、まだ知らないことがたくさんあることが、不思議と嬉しかったんです。

小さな「ありがとう」が、関係を変えていく

71歳の女性は、夫と結婚して48年。夫は寡黙な人で、感謝の言葉を口にすることはほとんどありませんでした。食事を作っても、洗濯をしても、当たり前のように受け取る。彼女もそれが普通だと思っていました。

でも、ある日テレビで夫婦の特集を見て、心が動きました。そこに出てきた70代の夫婦は、お互いに「ありがとう」と言い合っていたんです。些細なことでも「ありがとう」と。

彼女は思いました。私たち、いつから「ありがとう」を言わなくなったんだろう、と。

その日の夕食後、彼女は勇気を出して夫に言いました。「今日もご飯食べてくれてありがとう」。夫は驚いた顔をして、少し照れくさそうに「いや、こちらこそ」と言いました。ぎこちないやりとりでしたが、彼女の胸は温かくなりました。

それから毎日、小さな「ありがとう」を言い合うようにしました。お茶を入れてくれてありがとう。新聞を取ってきてくれてありがとう。本当に些細なことです。でも、その小さな言葉が、二人の間に温かな空気を作っていきました。

そして不思議なことに、「ありがとう」を言い合うようになってから、お互いの存在を改めて意識するようになったんです。当たり前だと思っていたことが、実はとても有難いことだったと気づきました。

夫が新聞を取ってくる。それは夫の足が痛いのに、彼女のために毎朝やってくれていること。彼女がお茶を入れる。それは彼女の手が震えるようになってきたのに、丁寧に入れてくれていること。

「ありがとう」という小さな言葉が、お互いの努力を可視化してくれたんです。

それぞれの「老い」を受け入れ、支え合う

75歳の男性と72歳の女性の夫婦の話です。二人とも、以前ほど身体が思うように動かなくなってきました。夫は腰が痛くて長時間歩けない。妻は耳が遠くなってきて、テレビの音が大きい。

最初は、お互いの「老い」にイライラすることもありました。夫は「何度も聞き返さないでくれ」と言い、妻は「もっと早く歩いてよ」と不満を漏らしました。

でもある日、妻が転びそうになったとき、夫が咄嗟に支えました。腰が痛いはずの夫が、迷わず手を伸ばしてくれた。妻は涙が出そうになりました。

その夜、妻は夫に言いました。「ごめんなさい。あなたも辛いのに、私、文句ばかり言ってた」。夫は妻の手を握って言いました。「僕もだよ。君の耳が遠くなったこと、気にかけてなかった。これからは、もっとゆっくり、大きな声で話すよ」

二人は泣きました。長年一緒にいて、初めてお互いの弱さを認め合えた気がしたんです。

それからは、お互いの「できないこと」を責めるのではなく、お互いの「できること」で支え合うようになりました。夫は耳の遠い妻のために、大切なことはゆっくりはっきり話す。妻は腰の悪い夫のために、散歩はゆっくりペースで付き合う。

お互いの老いを受け入れることは、実はお互いの人間性を受け入れることでした。完璧な人間などいない。みんな何かが足りなくて、何かに支えられて生きている。それを認め合えたとき、二人の関係は若い頃とは違う、でももっと深い絆で結ばれたんです。

「一緒にいる時間」の質を、改めて考える

69歳の夫婦は、毎日顔を合わせているのに、実は「一緒にいる」とは言えない状態でした。リビングにいても、夫は新聞、妻はテレビ。会話はほとんどない。同じ空間にいるだけの、別々の時間。

ある日、孫が遊びに来て言いました。「おじいちゃんとおばあちゃん、仲悪いの?」。二人は驚きました。仲が悪いわけじゃない。でも孫には、二人が離れているように見えたんです。

その言葉がきっかけで、二人は「一緒にいる時間」について考え始めました。同じ部屋にいることと、本当に一緒にいることは違うんじゃないか、と。

それから二人は、意識的に「一緒に何かをする時間」を作るようにしました。一緒に散歩する。一緒にテレビを見て、感想を言い合う。一緒に料理を作る。簡単なことですが、「一緒に」というのがポイントでした。

最初はぎこちなかったです。長年、別々のことをしていたので、一緒に何かをするのが慣れない。でも続けていくうちに、不思議なことに気づきました。一緒に何かをすると、自然と会話が生まれるんです。

散歩しながら、道端の花を見て「きれいだね」と言う。テレビを見て「このドラマ、面白いね」と言う。料理を作りながら「このやり方でいいかな」と相談する。些細な会話ですが、それが二人の距離を縮めていきました。

今では、孫が来て言います。「おじいちゃんとおばあちゃん、仲良しだね」。その言葉を聞くたびに、二人は顔を見合わせて微笑みます。人生の後半で見つけた、新しい夫婦の形です。

過去の「すれ違い」を許し合う勇気

74歳の女性は、長年心の中に抱えていた不満がありました。夫が仕事ばかりで家庭を顧みなかったこと。子どもの入学式や運動会に、一度も来てくれなかったこと。一人で子育てをして、寂しかったこと。

でも彼女は、それを夫に言ったことがありませんでした。「今さら言っても仕方ない」と思っていたんです。

ところがある日、夫がポツリと言いました。「あの頃、もっと君と子どもたちと一緒にいればよかった。仕事が大事だと思ってたけど、本当に大事なものを見失ってたかもしれない」

夫の目には涙が浮かんでいました。彼女は驚きました。夫も同じことを考えていたんだ、と。彼女は初めて、長年の思いを口にしました。「寂しかったの。一人で子育てして、誰も頼れなくて」

二人は抱き合って泣きました。50年近く一緒にいて、初めてこんな話をしました。そして、お互いに「ごめんね」と言いました。

過去は変えられません。でも、過去を許し合うことはできる。そしてこれからを、新しく築いていくことができる。二人はそう気づきました。

それからの二人は、過去のすれ違いを埋めるように、今を大切に生きています。もう遅すぎるなんてことはない。今からでも、新しい関係を作っていけるんです。

お互いの「夢」を応援し合える関係

70歳の男性は、定年後、ずっとやりたかった油絵を始めました。でも妻の反応は冷たかったです。「今さら絵なんて」「お金の無駄」と言われました。

彼は悲しかったです。妻に応援してほしかったのに。でも彼は諦めずに、なぜ絵を描きたいのか、妻に丁寧に説明しました。「若い頃から憧れてたんだ。でも仕事と子育てで時間がなくて。今、やっと自分の時間ができた。この夢を叶えたい」

妻は黙って聞いていました。そして次の日、妻は彼に画材セットをプレゼントしました。「あなたの夢、応援する。私も昔、ピアノを習いたかったの。でも諦めた。あなたには諦めてほしくない」

夫は妻を抱きしめました。そして言いました。「一緒にピアノも習おうよ」

今、二人はそれぞれの趣味を楽しみながら、お互いの作品や演奏を見せ合っています。人生の後半だからこそ、お互いの夢を応援し合える。そんな関係を築いています。

何十年も一緒にいて、初めて気づく本当の愛

長年連れ添った夫婦が改めて見つけるもの。それは、若い頃の情熱的な愛とは違う、でももっと深い愛の形です。

お互いの欠点を知り尽くしている。でも、それも含めて受け入れられる。お互いの弱さを知っている。でも、だからこそ支え合える。言葉がなくてもわかることもある。でも、言葉にしないとわからないこともある。

77歳の男性が、こんなことを言っていました。「若い頃は、妻が完璧な人だと思ってた。でも今は、妻も一人の不完全な人間だとわかる。そして、その不完全さが愛おしい。完璧じゃないから、一緒にいられるんだ」

長年一緒にいることは、決して簡単なことではありません。喧嘩もするし、すれ違うこともある。相手に不満を持つこともある。でも、それでも一緒にいる。それが夫婦なんです。

そして人生の後半、改めてお互いを見つめ直したとき、新しい発見があります。「ああ、この人はこんな人だったんだ」「この人にも、こんな面があったんだ」。何十年も一緒にいて、まだ知らないことがある。それは驚きであり、喜びでもあります。