長い人生を歩んでこられた皆さんなら、きっと何度も「ごめん」という言葉を口にされてきたことでしょう。夫婦喧嘩のあと、子どもを叱りすぎてしまったとき、友人に迷惑をかけてしまったとき。謝罪の場面は、生きていれば必ず訪れるものです。
でも、ちょっと立ち止まって考えてみてください。同じ謝罪でも「ごめん」と「ごめんね」では、相手に伝わる温かさが全然違うということに、気づいていらっしゃいますか。
私は今年で68歳になりますが、この違いに気づいたのは、実は数年前のことなんです。結婚して40年以上になる夫との些細なやり取りの中で、ハッと気づかされたんですね。
ある日の夕方、夫が仕事から帰ってきて、いつものようにリビングのソファに座りました。私は夕飯の支度をしながら「今日、病院の予約取っといてって言ったでしょ。どうだった?」と聞いたんです。すると夫は、新聞を読みながら「あ、ごめん。忘れた」とだけ言いました。
その瞬間、私の心にモヤモヤしたものが広がりました。怒りというほどではないけれど、なんだか悲しいような、寂しいような。「ごめんって、それだけ?」そう思ってしまったんです。
翌週、同じようなことがありました。今度は私が、夫に頼まれていた用事を忘れてしまったんです。申し訳ない気持ちでいっぱいになって、「ごめんね、すっかり忘れてた」と言いました。すると夫は、「まあ、しょうがないよ」と笑って許してくれました。
その時ふと思ったんです。「ね」が付くか付かないかで、こんなに受け取り方が変わるものなのかと。
「ごめん」という言葉は、確かに謝罪です。でも、どこか事務的で、心がこもっていないように聞こえることがあります。特に、長年一緒にいる夫婦だからこそ、その素っ気なさが際立ってしまうんですね。「謝ればいいんでしょ」という気持ちが透けて見えるような気がして、余計に寂しくなってしまいます。
一方、「ごめんね」には、相手への思いやりが含まれています。「ね」という小さな一文字が、「あなたの気持ちを理解しているよ」「本当に申し訳ないと思っているよ」というメッセージを運んでくれるんです。
私たちの世代は、若い頃から「言葉は心を映す鏡」だと教えられてきました。でも、日々の生活に追われる中で、いつの間にか言葉を雑に扱うようになっていたのかもしれません。
結婚したばかりの頃を思い出してみてください。些細なことでも「ごめんね」と優しく言い合っていませんでしたか。夫が仕事で疲れて帰ってきた時、「今日は大変だったでしょう、ごめんね」と労いの言葉をかけていませんでしたか。妻が体調を崩した時、「無理させてごめんね」と心配そうに言っていませんでしたか。
でも、長く一緒にいると、遠慮がなくなります。それは決して悪いことではありません。気を使わなくていい関係は、ある意味で理想的です。ただ、遠慮がなくなることと、思いやりを失うことは違うんですよね。
知り合いの夫婦の話をさせていただきます。70代のご夫婦で、とても仲が良いことで有名な方々です。ある時、奥さんが私にこう言いました。「うちの主人ね、何十年経っても『ごめんね』って言ってくれるの。それだけで、ああ、この人は私のことを大切に思ってくれているんだなって感じられるのよ」
その言葉を聞いて、私は深く反省しました。自分はどうだろうか。夫にちゃんと「ごめんね」と言えているだろうか。形だけの謝罪になっていないだろうか。
それから私は、意識して「ごめんね」を使うようにしました。最初は少し照れくさかったです。長年連れ添った夫に、今更そんな優しい言葉を使うのは気恥ずかしい。でも、言ってみると、不思議なことに夫の反応が変わりました。
以前は「ああ、いいよ」とぶっきらぼうに返していた夫が、「大丈夫だよ」「気にしないで」と優しく言ってくれるようになったんです。言葉は伝染するんですね。私が優しい言葉を使うと、夫も優しい言葉で返してくれる。そうやって、少しずつ、二人の会話が温かくなっていきました。
孫との関係でも、この違いを実感しています。小学生の孫が遊びに来た時、私がうっかり孫の大切にしているおもちゃを踏んでしまったことがありました。「ごめん、ばあば気づかなくて」と言った時、孫は少し拗ねた顔をしていました。でも、「ごめんね、大事なおもちゃだったのに」と言い直すと、孫の表情がパッと明るくなって、「いいよ、ばあば。壊れてないから大丈夫」と笑ってくれました。
子どもは正直です。言葉の奥にある気持ちを、敏感に感じ取ります。「ごめん」だけでは、本当に悪いと思っているのか伝わりません。でも「ごめんね」には、相手を思う心が込められています。それを、子どもはちゃんとわかっているんですね。
ここで、ちょっと面白い話をさせてください。私の友人で、関西出身の方がいらっしゃいます。その方は「ごめんな」とよく言うんです。最初聞いた時は、少し驚きました。「な」という終助詞も、「ね」と同じような効果があるんですね。
ある日、その友人に聞いてみました。「ごめん、と、ごめんな、って何が違うの?」すると彼女は笑いながら「ごめん、だけやと、他人行儀やん。ごめんな、って言うたら、わかってくれるやろ?って気持ちが入るんよ」と教えてくれました。
方言でも、終助詞の使い方で謝罪の温度が変わる。言葉って本当に奥が深いものだと感心しました。九州の方では「ごめんね」を「ごめんね〜」と語尾を伸ばして言ったり、東北では「ごめんな」と言う地域もあるそうです。どの地域でも、相手への気持ちを伝えるために、何かしらの工夫がされているんですね。
若い頃は、謝罪の言葉なんて気にしていませんでした。むしろ「ごめん」とサッと言って、早く話を終わらせたい気持ちの方が強かったかもしれません。子育てに追われ、仕事に追われ、家事に追われ。毎日がバタバタで、言葉を選ぶ余裕なんてなかったんです。
でも、年を重ねて、子どもたちが独立して、時間に余裕ができた今だからこそ、言葉の大切さに気づくことができました。もっと早く気づいていれば、もっと優しい母親でいられたかもしれない。もっと良い妻でいられたかもしれない。そう思うと、少し後悔もあります。
でも、今からでも遅くはありません。残された時間を、もっと温かい言葉で満たしていきたい。そう思うようになりました。
地域のコミュニティセンターでボランティア活動をしていますが、そこでも言葉の大切さを感じます。高齢者同士の集まりですから、些細なことで気まずくなることもあります。椅子の配置、お茶の出し方、イベントの進行。意見が食い違うこともしょっちゅうです。
そんな時、「ごめん、私が悪かった」と言う人と、「ごめんね、気が回らなくて」と言う人では、場の雰囲気が全然違うんです。前者だと、何となくその場が固まってしまいます。後者だと、「いえいえ、こちらこそ」と自然に会話が続いていきます。
ある時、いつも「ごめん」としか言わない方がいました。悪気はないんです。むしろ、とても真面目で責任感の強い方でした。でも、その素っ気ない謝り方が、周りの人を少し遠ざけてしまっていました。「あの人、本当に反省しているのかしら」「謝ればいいと思っているのでは」そんな声が聞こえてきました。
私はある日、その方に優しく話しかけました。「謝る時に、ごめんね、って言ってみませんか。きっと、もっと気持ちが伝わると思いますよ」最初、その方は戸惑っていました。「今更そんな言い方、恥ずかしい」と。
でも、試しに使ってみると、周りの反応が変わりました。「ああ、この人も悪いと思っていたんだ」「心配してくれていたんだ」そう理解してもらえるようになったんです。その方は後日、私に「ありがとう。あの一言で、こんなに人間関係が良くなるなんて思わなかった」と感謝してくれました。
夫婦関係に話を戻しましょう。長年連れ添っていると、お互いの嫌なところも、良いところも、全部わかってしまいます。新鮮さはなくなるかもしれません。でも、だからこそ、言葉を大切にする必要があるんです。
私の夫は、昔から言葉数が少ない人でした。愛情表現も苦手。でも、最近は少しずつ変わってきました。私が意識して「ごめんね」「ありがとうね」と柔らかい言葉を使うようになってから、夫も同じように言ってくれるようになったんです。
先日、夫が珍しく花を買ってきてくれました。特別な日でもないのに。「なんで急に?」と聞くと、夫は照れくさそうに「いつも我慢させてごめんね。ありがとうって言いたくて」と言いました。
その瞬間、涙が出そうになりました。結婚して40年以上、夫からそんな優しい言葉を聞いたのは初めてかもしれません。「ね」という一文字が、夫の本当の気持ちを伝えてくれました。形だけの謝罪ではなく、心からの感謝と愛情が込められていることが、痛いほど伝わってきました。
言葉は魔法のようなものです。たった一文字加えるだけで、冷たい言葉が温かい言葉に変わります。事務的な謝罪が、心のこもった謝罪に変わります。
でも、ただ「ね」を付けるだけではダメなんです。大切なのは、その言葉に心を込めること。相手の気持ちを理解しようとすること。本当に申し訳ないと思うこと。そういう気持ちがあって初めて、「ごめんね」という言葉が生きてくるんです。
形だけの「ごめんね」は、すぐに見破られます。特に、長く一緒にいる相手には。口先だけで言っても、目を見ればわかります。声のトーンでわかります。だから、本当に心から謝る時に使う言葉なんですね。
私たちシニア世代は、これまで色々な経験をしてきました。喜びも、悲しみも、怒りも、後悔も。たくさんの感情を味わってきました。だからこそ、相手の気持ちを理解できるはずです。相手がどんな思いでいるか、想像できるはずです。
若い人たちは、スマートフォンのメッセージで「ごめん」「ごめんね」のやり取りをしています。文字だけのコミュニケーション。それはそれで便利なのでしょう。でも、私たちには、対面で言葉を交わす文化があります。相手の顔を見て、目を見て、声のトーンを感じながら話す。そういうコミュニケーションの中でこそ、「ごめんね」という言葉の温かさが伝わるんです。
ある介護施設で働く友人が言っていました。認知症が進んだお年寄りでも、「ごめん」と「ごめんね」の違いはわかるそうです。スタッフが何か失敗した時、「ごめん」と言うと、不機嫌そうな顔をする。でも「ごめんね」と優しく言うと、「いいのよ」と笑顔で許してくれる。言葉の持つ力は、記憶が薄れても残っているんですね。
孫たちにも、この違いを教えたいと思っています。今の子どもたちは、便利な世の中で育っています。何でもすぐに手に入る。謝罪も、スタンプ一つで済ませてしまう。でも、本当に大切な人との関係を築くには、心のこもった言葉が必要なんだということを、伝えていきたいです。
「おばあちゃん、ごめんとごめんねって、何が違うの?」孫に聞かれた時、私はこう答えました。「ごめん、は頭で謝ること。ごめんね、は心で謝ることよ」孫は最初、ポカンとしていましたが、少し考えてから「わかった。大切な人には、ごめんねって言うんだね」と言ってくれました。
子どもは素直です。教えたことを、すぐに実践してくれます。孫が友達と喧嘩して仲直りする時、ちゃんと「ごめんね」と言えている姿を見ると、嬉しくなります。この子は、人との温かい関係を築いていける子になるだろうと、確信できます。
振り返ってみれば、人生の中で一番大切だったのは、人との繋がりでした。仕事も大事、お金も大事、健康も大事。でも、最後に残るのは、人との思い出です。家族との思い出、友人との思い出、地域の人たちとの思い出。
その思い出を美しいものにするのも、苦いものにするのも、日々の言葉なんですね。些細な一言が、関係を壊すこともあれば、深めることもある。「ごめん」と「ごめんね」の違いは、小さいようで大きい。その違いに気づけたことは、私にとって大きな学びでした。
もし今、夫婦関係がギクシャクしている方がいらっしゃったら、ぜひ試してみてください。次に謝る時、「ごめんね」と言ってみてください。最初は照れくさいかもしれません。でも、その一言が、凍りついた関係を溶かすきっかけになるかもしれません。
友人関係でも同じです。ちょっとした行き違いで気まずくなっている相手がいたら、「あの時はごめんね」と声をかけてみてください。きっと、相手も待っていたはずです。温かい言葉を、心のこもった謝罪を。
私たちシニア世代には、もう残された時間がそれほど多くないかもしれません。だからこそ、一日一日を大切に生きたい。そして、大切な人たちとの時間を、温かい言葉で満たしていきたい。
「ごめんね」という小さな言葉が、人生を豊かにしてくれる。そのことに気づけて、本当に良かったと思っています。皆さんも、ぜひ今日から、意識して使ってみてください。きっと、周りの人たちの反応が変わります。そして、自分自身の心も、優しくなっていくのを感じられるはずです。