73歳になった今、人生を振り返ってみると、若い頃の自分が恥ずかしくなることがあります。特に思い出すのは、知らず知らずのうちに人の「あら探し」をしてしまっていた時期のことです。当時は自分では気づいていませんでしたが、今思えば相手にとってはとても辛い思いをさせていたのかもしれません。
人生の後半戦を迎えた私たちシニア世代だからこそ理解できる、「あら探し」をしてしまう心の奥にある複雑な感情。そして、長年の経験から学んだ、相手を受け入れることの大切さについて、今日は心を込めてお話しさせていただきたいと思います。
若き日の完璧主義が招いた、苦い経験
私が35歳の頃、職場で一緒に働いていた後輩との関係で、今でも後悔している出来事があります。その後輩は明るく真面目な青年だったのですが、当時の私は何かと彼の仕事ぶりに対して細かく指摘してしまう癖がありました。
ある日の午後、彼が作成した企画書を見て、私は思わず「ここの数字、もう少し精密に計算できないかな」「この表現、お客様にはちょっと分かりにくいかも」と次々と指摘してしまいました。彼は「はい、すぐに修正します」と素直に応じてくれましたが、その時の彼の表情には、明らかに困惑と落胆の色が浮かんでいたのです。
でも当時の私は、それが「指導」だと思い込んでいました。「完璧な仕事をしてもらいたい」「お客様に満足していただきたい」という気持ちから出た言葉だったのですが、今思えば、それは私自身の不安や完璧主義の現れだったのかもしれません。
彼は次第に私との会話を避けるようになり、企画書を提出する際も緊張した面持ちになっていきました。私は「最近、やる気がないのかな」と思っていたのですが、実は彼は私からの指摘を恐れて、自信を失っていたのです。
この状況が変わったのは、ある日の飲み会でのことでした。少しお酒が入った彼が、「正直に言うと、いつも怒られるのではないかと思って、仕事をするのが怖くなってしまった」と涙ながらに話してくれた時でした。
その瞬間、私の心に雷が落ちたような衝撃が走りました。私が「指導」だと思っていた行為が、実は彼の心を深く傷つけていたのです。彼の涙を見た時、私は初めて自分の行動がどれほど相手にとって負担だったかを理解したのです。
あの夜、彼に深く謝罪し、翌日からは彼の良いところを意識的に見つけて褒めるように心がけました。すると彼の表情は次第に明るくなり、仕事に対する積極性も戻ってきました。そして何より、私自身が相手の良いところを探すことの喜びを知ったのです。
完璧主義の裏に隠れた、深い不安と恐れ
長年生きてきて気づいたのは、人にあら探しをしてしまう背景には、実は深い不安や恐れが隠れているということです。私自身も、当時は自分では気づいていませんでしたが、心の奥底では常に「失敗への恐怖」に支配されていました。
仕事でも人間関係でも、「完璧でなければならない」「ミスは許されない」という強迫観念に近い気持ちがありました。そのため、周りの人の小さなミスや不完全な部分が目につくと、まるで自分自身の不安を鎮めるかのように指摘してしまっていたのです。
私の妻も、結婚当初は私のこうした完璧主義に悩まされたことがあったそうです。料理の味付けから、家の掃除の仕方まで、つい細かく口を出してしまう私に対して、妻は「どうして私のやることを信頼してくれないの?」と涙を流したことがありました。
その時の妻の言葉が、私の心に深く刺さりました。私は妻を信頼していないわけではなかったのです。むしろ、愛しているからこそ、「もっと良くなってほしい」と思っていました。でも、それが結果的に相手の自尊心を傷つけてしまっていたのです。
シニア世代になって理解できるのは、完璧主義の根本には「愛されたい」「認められたい」という純粋な気持ちがあるということです。でも、その表現方法が間違っていると、大切な人との関係を壊してしまうことがあるのです。
自己評価の低さが生み出す、負のスパイラル
人生を振り返ってみると、私があら探しをしていた時期は、実は自分自身への自信を失っていた時期と重なることに気づきます。30代後半の頃、仕事での昇進が思うようにいかず、自分の能力に疑問を感じていた時期がありました。
その頃の私は、他人の欠点を指摘することで、自分の存在価値を確認しようとしていたのかもしれません。「私の方が正しい判断ができる」「私の方が気づける」という優越感を感じることで、傷ついた自尊心を修復しようとしていたのです。
でも、これは非常に危険な心理状態でした。他人を批判することで得られる優越感は一時的なもので、根本的な自信の回復にはつながりません。むしろ、周りの人との関係を悪化させることで、さらに孤立感を深めてしまうという悪循環に陥ってしまうのです。
私の友人である78歳の男性が、最近こんな話をしてくれました。「若い頃、会社で部下の揚げ足を取るような上司がいた。その人は確かに能力はあったが、いつも人の批判ばかりしていて、最後は誰からも信頼されなくなった。今思えば、その人も何か深い悩みを抱えていたのかもしれない」
この話を聞いて、私は改めて人間の心の複雑さを感じました。表面的には威圧的で批判的に見える人も、その奥には傷ついた心や不安を抱えているのかもしれません。
ここで少し面白いエピソードをお話ししましょう。私の近所に住む80歳の女性がいるのですが、彼女は若い頃から料理がとても上手で、近所でも評判でした。ところが、お嫁さんが来てからは、そのお嫁さんの料理に対して細かく口を出すようになってしまったそうです。最初は「お姑さんの指導」として受け入れていたお嫁さんも、次第に台所に立つのが嫌になってしまいました。ところが、ある日お姑さんが入院してしまい、お嫁さんが一人で料理を作ることになった時、近所の人たちから「美味しい」「上手ね」と褒められたそうです。退院後、お姑さんはお嫁さんに「あなたの料理、とても美味しいのね。私の出る幕はないわ」と笑顔で言ったそうです。実は、お姑さんも自分の存在価値を確認したくて口を出していただけで、本当はお嫁さんの料理の腕を認めていたのです。
過去の傷が現在の関係に影響する複雑さ
シニア世代になって初めて理解できたのは、過去の恋愛や人間関係での傷が、現在の関係にどれほど大きな影響を与えるかということです。私自身も、20代の頃に恋人に裏切られた経験があり、その後長い間、人を信じることができずにいました。
その影響は、その後の人間関係にも色濃く表れていました。新しく知り合った人に対しても、どこか疑いの目で見てしまう。相手の言葉の裏を読み、矛盾点を探してしまう。そんな自分に嫌気がさしながらも、どうしても不安から抜け出せずにいたのです。
特に印象深いのは、妻と出会った頃の記憶です。妻が友人と食事に行くと言った時、私は「本当に友人と?」「男性はいないの?」としつこく聞いてしまいました。妻は最初は笑って答えてくれていましたが、それが続くうちに「どうして信じてくれないの?」と悲しそうな表情を浮かべるようになりました。
あの時の妻の表情を見て、私は初めて自分の行動がどれほど相手を傷つけているかを理解しました。私の不安は、過去の恋人への不信から来ているもので、妻には何の責任もないことでした。それなのに、妻に過去の傷の代償を払わせようとしていたのです。
この経験から学んだのは、過去の傷は自分自身で癒さなければならないということです。他人にその責任を押し付けてはいけないし、過去の相手への不信を現在のパートナーに向けてはいけないのです。
あら探しをやめることで見えてきた、新しい世界
私があら探しをやめるきっかけになったのは、60歳を過ぎて孫が生まれた時のことでした。小さな孫を抱いている時、ふと思ったのです。「この子は何も完璧ではないけれど、ただ存在しているだけで愛おしい」と。
その瞬間、私は人を愛するということの本質を理解した気がしました。愛するということは、相手の完璧さを求めることではなく、相手の不完全さも含めて受け入れることなのだと。
それから私は、意識的に人の良いところを探すようになりました。妻の料理で、以前なら「味が少し薄いかな」と思っていたところを、「優しい味で心が温まる」と感じるようになりました。職場の若い人たちの仕事ぶりも、ミスを指摘するより先に、良い部分を見つけて褒めるようになりました。
この変化は、私自身にも大きな影響を与えました。人の良いところを探すことで、私自身の心も穏やかになったのです。以前は常にイライラしていたのが、次第に寛容な気持ちになれるようになりました。
妻も私の変化に気づいてくれました。「最近、あなたといると心が安らぐ」と言ってくれた時、私は心の底から嬉しくなりました。あら探しをやめることで、私たち夫婦の関係も一段と深まったのです。
シニア世代だからこそできる、深い受容の心
70代を迎えた今、私は人間関係において最も大切なのは「受容」だと確信しています。若い頃は、相手を変えようとすることばかり考えていましたが、今は相手をありのまま受け入れることの美しさを知っています。
先日、近所の公園で一人で座っていた時、隣に座った80代の女性がこんなことを話してくれました。「夫と50年以上一緒にいるけれど、結婚当初は彼の欠点ばかりが目についていた。でも今は、その欠点も含めて愛おしく思える。人間って不思議なものね」
この言葉を聞いて、私は深く頷きました。長い人生を歩んできたからこそ分かる、人間の愛おしさ。完璧ではないからこそ美しい、人間らしさの素晴らしさ。それを理解できるのは、私たちシニア世代の特権なのかもしれません。
若い世代に伝えたい、関係修復の可能性
私の経験から、若い世代の皆さんにお伝えしたいことがあります。もし今、人間関係であら探しをしてしまう癖に悩んでいるなら、それは決して治らないものではありません。私のように70歳を過ぎてからでも、人は変わることができるのです。
まず大切なのは、自分の行動パターンに気づくことです。なぜあら探しをしてしまうのか、その根本的な原因を探ってみてください。完璧主義からなのか、自信のなさからなのか、過去の傷からなのか。原因が分かれば、対処法も見えてくるはずです。
次に、相手の良いところを意識的に探す練習をしてみてください。最初は難しく感じるかもしれませんが、慣れてくると自然にできるようになります。そして、見つけた良いところは積極的に相手に伝えてください。人は褒められると、さらに良いところを発揮するものです。
また、自分自身の価値を他人の評価ではなく、内面的な成長で測るようになることも大切です。他人を批判することで得られる優越感は一時的ですが、自分自身の成長から得られる満足感は永続的です。
関係が悪化してしまった場合でも、諦める必要はありません。私の場合も、後輩との関係や妻との関係で一時期ギクシャクしたことがありましたが、素直に謝罪し、行動を改めることで関係を修復することができました。
大切なのは、プライドにとらわれすぎないことです。「ごめんなさい」と謝ることは恥ずかしいことではありません。むしろ、それができる人こそ、真に成熟した大人なのです。