シニアからのはるめくせかい

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謝りすぎる人との向き合い方~恋愛で学んだ大切な教訓と、シニア世代に贈る心の距離感~

75歳を迎えた今、振り返ってみると人生には様々な人との出会いがありました。その中でも特に印象深く、多くのことを学ばせてくれたのが、35歳の頃にお付き合いしていた男性との経験です。彼との関係を通して、私は「謝りすぎることの意味」と「健全な人間関係の築き方」について深く考えるようになりました。今日は、その体験をもとに、シニア世代の皆さまにとって役立つ人間関係の智慧をお話ししたいと思います。

当時の私は、都内の小さな会計事務所で働いていました。35歳という年齢は、周囲からは「そろそろ結婚を」という声も聞こえ始める頃で、私自身も将来のパートナーとの出会いを意識していた時期でした。そんな折、共通の友人の紹介で知り合ったのが、後に私の人生に大きな気づきをもたらしてくれることになる男性でした。

彼は私より3歳年上の公務員で、見た目は穏やかで真面目そうな印象を持った方でした。初めて会った時の印象は「とても礼儀正しい人」というものでした。待ち合わせ場所に私より先に到着していて、私の姿を見つけると丁寧にお辞儀をしてくれました。「お忙しい中、お時間を作っていただき、ありがとうございます」という最初の挨拶からして、とても丁寧で好感が持てました。

最初のお食事の時間も、彼は本当に気配りの人でした。私がメニューを選んでいる間、静かに待っていてくれて、私が料理について迷っていると「どちらもお美味しそうですね。お好みはいかがですか」と優しく声をかけてくれました。食事中も、私の話を熱心に聞いてくれて、適切なタイミングで相槌を打ってくれる、本当に紳士的な方だと思いました。

しかし、その日の帰り際に、ちょっとした出来事がありました。私たちが駅に向かって歩いている時、彼が軽くつまずいてしまったのです。特に大したことではなく、誰にでもあるような些細なことでしたが、彼は慌てたように「すみません、お見苦しいところをお見せして」と謝りました。その時は「丁寧な人だな」と思っただけで、特に気に留めませんでした。

お付き合いが始まってからも、彼のそうした姿勢は続きました。デートの約束をした日に、彼が電車の遅延で5分ほど遅れてしまった時のことです。改札口で待っていた私のもとに走ってやってきた彼は、息を切らしながら「本当に申し訳ありません。電車が遅れてしまって」と深々と頭を下げました。私は「全然大丈夫よ、お疲れさま」と言ったのですが、彼はその後も「せっかくのお時間を無駄にしてしまって」「今度は絶対に遅れないように気をつけます」と何度も謝り続けました。

その時の私は、彼の誠実さに感動していました。最近の男性は時間にルーズな人も多いと聞いていたので、こんなに責任感の強い人と出会えたことを幸運に思っていたのです。しかし、時間が経つにつれて、彼の「ごめん」という言葉があまりにも頻繁に聞こえてくることに、なんとなく違和感を覚え始めました。

食事中にスマートフォンが鳴って、大切な仕事の連絡かもしれないと確認した時も「ごめん、食事中なのに」と謝る。私が何気なく「今日はちょっと疲れているの」と言った時も「俺が無理なデートプランを立てたせいかな、ごめん」と自分を責める。映画館で、私が選んだ映画がたまたま彼の好みに合わなかった時も「つまらない顔をしてしまって、ごめん」と申し訳なさそうにする。

次第に私は、彼と一緒にいる時に妙な緊張感を感じるようになりました。彼が謝るたびに「そんなことないよ」「気にしないで」と言わなければならない自分がいて、なんだか会話がぎこちなくなってしまうのです。まるで私が彼の上司か先生のような立場にいるような、そんな不自然な関係性を感じていました。

その違和感が決定的になったのは、お付き合いを始めて3ヶ月ほど経った、ある週末のことでした。私は彼と一緒に鎌倉を訪れる計画を立てていました。紫陽花の季節で、美しい花を見ながらゆっくりと散歩をして、美味しい和食を楽しむという、私なりに心を込めて考えたデートプランでした。

ところが、その前日の夜、彼から電話がかかってきました。声の調子からして、明らかに体調が悪そうでした。「実は昨日から喉が痛くて、今日になって熱も出てきてしまいました」と言う彼の声は、確かにかすれていて、明らかに風邪の症状でした。

「それは大変。無理しないで、ゆっくり休んでくださいね」と私が言うと、彼は申し訳なさそうに「本当にごめんなさい。せっかく詳しく計画を立ててくれたのに」「こんな大事な時に体調管理ができなくて、情けないです」「楽しみにしていてくれたのに、本当に申し訳ありません」と、まるで自分が何か重大な過失を犯したかのように謝り続けました。

私は「体調不良は仕方のないことよ。それより、しっかり治すことが大切」と何度も伝えたのですが、彼の謝罪は止まりませんでした。電話を切った後も、メールで「改めてお詫び申し上げます」「必ず埋め合わせをさせていただきます」といった内容が送られてきました。

そして翌日、私が家でのんびりと過ごしていた夕方のことです。インターホンが鳴り、ドア越しに声をかけてみると、なんと彼の声がしました。驚いてドアを開けると、まだ顔色の悪い彼が、大きな花束を持って立っていたのです。

「昨日はご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありませんでした」と言いながら、彼は深々と頭を下げました。私は彼の状態を見て、心配と困惑が入り混じった気持ちになりました。明らかにまだ熱があるようで、額には汗が浮かんでいましたし、呼吸も浅く、立っているのもつらそうに見えました。

「どうしてこんな状態で出てきたの?家で休んでいるべきよ」と私が言うと、彼は「謝罪の意味を込めて、どうしてもお会いしたくて」と答えました。その時、私の心の中で何かが弾けるような感覚がありました。これは単なる礼儀正しさではない、何か別の問題があるのではないかと、初めてはっきりと感じたのです。

家に上がってもらい、とりあえず温かいお茶を入れながら、私は彼の行動について考えていました。体調が悪いのに無理をして来るということは、彼の中で「謝罪しなければならない」という気持ちが、自分の健康よりも優先されているということです。これは普通の感覚ではありません。

その日、彼は結局40度近い熱で倒れてしまい、私が救急車を呼ぶ騒ぎになりました。病院で点滴を受けながらも、彼は「こんなことになってしまって、本当に申し訳ありません」と繰り返していました。看護師さんも「まあ、こんなに謝らなくても」と苦笑いしているほどでした。

その夜、病院から帰った私は、一人で彼のことについて深く考えました。彼の謝りすぎる行動の背景には、いったい何があるのだろうと。そして、私自身も彼とのやり取りの中で、だんだんと疲れを感じるようになっていたことを認めざるを得ませんでした。

ここで少し脱線しますが、面白いことに日本人の謝罪の文化について調べてみると、江戸時代には「お詫び」の作法が非常に細かく決められていたそうです。身分や関係性によって、謝罪の仕方から頭の下げる角度まで、様々な決まりがあったと言います。現代の私たちが無意識に謝ってしまうのも、そうした文化的背景があるのかもしれません。しかし、時代が変わった今、過度な謝罪は逆に人間関係を困難にしてしまうこともあるのです。現代では、誠実さを示すより良い方法があるのではないでしょうか。

彼が回復した後、私たちは改めて話し合う機会を持ちました。私は、彼の謝罪の多さについて、できるだけ優しく、でも率直に話してみることにしました。

「あなたが謝る回数について、少し気になることがあるの」と切り出すと、彼はすぐに「ああ、やっぱり迷惑をかけていたんですね。すみません」と謝り始めました。私は苦笑いしながら「ほら、また謝っている」と指摘すると、彼ははっとしたような表情になりました。

「どうして、そんなにすぐに謝ってしまうの?」と私が聞くと、彼は少し考えてから、ぽつりぽつりと話し始めました。「子どもの頃から、何かあるとすぐに謝る癖がついてしまって」「謝っておけば、相手を怒らせずに済むと思っていました」「でも、それが良くないことなんでしょうか」

彼の言葉を聞いて、私は彼の心の奥にある不安や恐れのようなものを感じ取りました。彼は相手の機嫌を損ねることを極度に恐れていて、そのために先回りして謝ることで、争いを避けようとしていたのです。しかし、それは同時に、本当の自分の気持ちや意見を押し殺してしまうことにもつながっていました。

「謝ること自体は悪いことじゃないの。でも、何でもかんでも謝ってしまうと、本当に謝るべき時の謝罪の意味が薄れてしまうのよ」と私は説明しました。「それに、あなたがそんなに謝り続けていると、私も何だか責められているような気分になってしまうの」

彼は驚いたような顔をして「そんなつもりは全くありませんでした」と言いました。そして、少し間を置いてから「でも、どうすれば良いのか分からないんです」と正直な気持ちを打ち明けてくれました。

私たちはその日、長時間にわたって話し合いました。彼の謝罪の多さは、確かに礼儀正しさから来ている部分もありましたが、それ以上に、自分に自信が持てず、相手との関係で主導権を握ることを恐れている心理状態の表れだったのです。

例えば、私が「今日は何を食べたい気分?」と聞いた時、彼は「なんでも良いです、あなたの好きなものを」と答えがちでした。これは相手に合わせようとする優しさでもありますが、同時に自分の意見を言うことを避けている面もありました。そして、もし私が選んだレストランが混雑していたり、料理が期待していたほどではなかったりすると、「僕がちゃんと提案しなかったせいで」と謝るのです。

このようなパターンが続くうちに、私は彼との会話で本音を言いにくくなっていました。何か不満や要望があっても、それを伝えると彼が過剰に謝って自分を責めるのが分かっているので、言うのを躊躇してしまうのです。結果として、私たちの関係には表面的な平和はあっても、深いコミュニケーションが欠けていました。

決定的な出来事が起こったのは、それからさらに1ヶ月ほど経った頃でした。私たちは一緒に友人の結婚式に出席することになっていました。私はそのために新しいドレスを購入し、美容院の予約も取って、楽しみにしていました。

ところが、式の前日になって、彼から「実は職場で急な会議が入ってしまいました」という連絡がありました。内容を聞くと、それほど緊急性の高いものではなく、彼が「断るのは申し訳ないから」という理由で引き受けてしまったもののようでした。

「結婚式の約束があるって言って、断ることはできないの?」と私が聞くと、彼は「でも、上司に迷惑をかけるのは」と歯切れの悪い返事をしました。そして最後に「君には本当に申し訳ないけれど」と謝罪の言葉で締めくくりました。

その時、私は激しい怒りを感じました。しかし、それ以上に深い失望を感じたのです。彼は私との約束よりも、職場での「良い人」でいることを優先したのです。そして、その選択について真剣に考えたり、私と相談したりするのではなく、ただ謝ることで済ませようとしていました。

結婚式当日、私は一人で出席することになりました。友人たちには「彼は急な仕事で」と説明しましたが、内心では複雑な気持ちでいっぱいでした。式場で幸せそうな新郎新婦を見ながら、私は彼との関係について深く考えていました。

帰宅後、彼から「本当に申し訳ありませんでした」というメールが届いていました。しかし、そこには彼なりの事情説明や、今後同じようなことが起こらないための提案などは一切ありませんでした。ただ、ひたすら謝罪の言葉が並んでいるだけでした。

その夜、私は彼に電話をかけて、はっきりと自分の気持ちを伝えることにしました。「今回のことで、私はとても傷ついたの。でも、それ以上に、あなたが謝ることで問題を解決したつもりになっていることが悲しい」と言いました。

彼は「どうすれば良かったんでしょうか」と聞いてきましたが、その質問自体が、彼の問題の核心を表していました。彼は自分で考えて判断することを避け、常に相手に答えを求めているのです。そして、何か問題が起こると、その責任を自分一人で背負い込んで謝り続ける。このサイクルでは、真の問題解決にはならないのです。

私は彼に「謝る前に、まず一緒に問題について話し合いたかった。そして、あなた自身がどう思っているのか、本音を聞きたかった」と伝えました。すると彼は「でも、僕の意見なんて大したことないですから」と答えました。その言葉を聞いて、私は彼の根深い自己評価の低さを痛感しました。

結局、私たちの関係は、それから間もなく終わりを迎えることになりました。別れ話をする時も、彼は「全部僕が悪かったんです」「こんな男と付き合ってくれて、ありがとうございました」と謝り続けました。私は「あなたが悪いわけじゃないの。ただ、私たちは合わなかっただけ」と言いましたが、彼にはその言葉の真意が伝わらなかったかもしれません。

この関係を通じて、私は人間関係における「対等性」の重要さを深く理解しました。健全な関係では、お互いが自分の意見を持ち、時には意見が食い違うこともある。そういう時に大切なのは、謝ることではなく、話し合うことなのです。

例えば、私の現在の夫との関係を振り返ってみると、私たちも様々な意見の相違がありました。彼が仕事で遅くなる日が続いた時、私は正直に「寂しい」と伝えました。すると彼は謝るのではなく、「そうだね、確かに最近一緒の時間が少なかった。来週は調整してみるよ」と具体的な解決策を提示してくれました。こうした対等なやり取りこそが、信頼関係を築く基盤になるのです。

シニア世代の私たちにとって、この教訓は特に重要だと思います。人生の後半戦では、限られた時間の中で、本当に大切な人たちとの関係を深めていきたいものです。そのためには、表面的な平和よりも、深い理解と信頼に基づいた関係を築くことが必要です。

過度に謝る人との関係では、以下のような問題が生じがちです。まず、本音の会話が困難になります。相手が何でも謝ってしまうと、こちらも本当の気持ちを伝えにくくなってしまいます。また、問題の根本的解決が後回しになります。謝ることで一時的に事態を収束させても、同じ問題が繰り返し起こる可能性があります。

さらに、責任の所在が曖昧になってしまいます。すべてを自分の責任にしてしまう人がいると、実際の問題点を見極めることが難しくなります。そして最も重要なのは、相手の成長の機会を奪ってしまうことです。謝り続ける人は、自分の行動を振り返り、改善する機会を逃してしまいがちです。

では、そのような人とどう向き合えば良いのでしょうか。まず大切なのは、相手の謝罪を簡単に受け入れるのではなく、「なぜそう思うのか」を聞いてみることです。謝罪の背景にある気持ちや考えを理解することで、真の問題が見えてくることがあります。

また、相手が謝った時に「謝らなくても良いよ」と言うだけでなく、「どう感じているか教えて」と相手の本音を引き出すように努めることも大切です。そして、問題が起こった時には、一緒に解決策を考える姿勢を示すことで、相手に「対等な関係」を実感してもらうことができます。

ただし、これらのアプローチには限界もあります。過度に謝る行動の背景には、深い心の傷や強い不安がある場合も少なくありません。そのような場合は、専門家の助けが必要なこともあります。私たちにできるのは、理解と忍耐を持って接することですが、自分自身の心の健康も大切にしなければなりません。

シニア世代の私たちは、これまでの人生経験を通じて、様々な人との関係を築いてきました。その中で学んだ智慧を活かし、健全で充実した人間関係を続けていくためには、相手との「心の距離感」を適切に保つことが重要です。

謝りすぎる人との関係は、一見すると平和で問題がないように見えますが、実は深いコミュニケーションの欠如という大きな問題を抱えていることが多いのです。真の親密さは、お互いが本音を言い合い、時には意見を戦わせながらも、最終的には理解し合える関係から生まれます。

人生の残り時間を考えると、表面的な関係に時間を費やすよりも、心から信頼し合える人たちとの関係を大切にしたいものです。そのためには、時として勇気を持って本音を伝え、相手にも本音を求めることが必要です。

適切な謝罪は、確かに人間関係を円滑にする大切な要素です。しかし、謝罪が問題解決の手段ではなく、問題回避の手段になってしまっては、真の関係性は築けません。シニア世代の私たちだからこそ、そのような浅い関係ではなく、深い理解と信頼に基づいた、本当に意味のある人間関係を大切にしていきたいですね。