シニアからのはるめくせかい

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シニアからの真面目さゆえの「うっかり」は人間らしさの証

人生を重ねてこられた皆さんなら、きっと思い当たることがあるのではないでしょうか。仕事に真剣に取り組み、家族のことを一生懸命に考え、社会的な責任も果たそうと努力している。そんな真面目な人ほど、なぜかちょっとした「うっかり」をしてしまうものです。

「あれ、メガネはどこに置いたかしら」と探していたら、実は頭の上に乗せていた。大切な書類をきちんと整理したはずなのに、肝心の印鑑を忘れて役所に行ってしまった。こんな経験、一度や二度はおありでしょう。

実は、これは決して恥ずかしいことでも、年齢のせいでもありません。むしろ、あなたが物事に真剣に向き合っている証拠なのです。今日は、そんな「真面目だけど抜けてる人」の魅力と、上手な付き合い方について、皆さんと一緒に考えてみたいと思います。

真面目さゆえの「うっかり」は人間らしさの証

長年生きてきて感じることですが、完璧な人というのは案外つまらないものです。むしろ、一生懸命に物事に取り組んでいるからこそ生まれる「うっかり」には、どこか人間らしい温かさがあります。

これは決して現代に始まったことではありません。昔から「学者先生」と呼ばれる研究熱心な方々は、研究に没頭するあまり、日常生活では抜けたところがあることで有名でした。江戸時代の蘭学者や明治時代の文豪たちにも、そんなエピソードがたくさん残されています。

現代の脳科学でも、このことがよく説明されています。私たちの脳は、まるで家計のやりくりのように、限られたエネルギーを効率よく配分しようとします。重要な仕事や考え事に集中している時は、その分、日常の小さなことへの注意力が減ってしまうのです。

これを「選択的集中」と呼びますが、まさに茶道の「一期一会」の精神に通じるものがあります。その瞬間、その物事に全身全霊で向き合うからこそ、他のことがおろそかになってしまう。これは、ある意味で美しい集中力の表れなのです。

例えば、孫の運動会の応援に夢中になっていて、持参したお弁当の存在をすっかり忘れてしまったという経験はありませんか。これは決して物忘れではなく、その瞬間に大切なものに心を注いでいた証拠なのです。

歴史上の偉人たちも同じだった

世界的に有名な科学者や芸術家にも、実は「真面目だけど抜けてる」エピソードがたくさんあります。これらの話を知ると、少し気持ちが楽になるのではないでしょうか。

アイザック・ニュートンは、リンゴが落ちるのを見て万有引力を発見したことで有名ですが、実は日常生活では相当な「うっかり者」でした。研究に没頭するあまり、食事を忘れることは日常茶飯事。ある時は、卵を茹でようとして時計を鍋に入れ、卵を手に持ったまま時間を測っていたという逸話が残っています。

また、相対性理論で有名なアルベルト・アインシュタインも、靴下を履くのを忘れて外出することがよくありました。彼曰く「靴下には穴があくから履かない方が合理的」だったそうです。奥様が用意してくださった服を着忘れて、同じ服ばかり着ていたことも有名な話です。

日本でも、夏目漱石は原稿を書くのに夢中になって、家族の食事時間を忘れてしまうことがしばしばありました。森鴎外も、医学の研究と文学創作に打ち込むあまり、約束の時間を間違えて一日早く人を訪ねてしまったことがあります。

これらの偉人たちに共通するのは、自分が本当に大切だと思うことに、人並み外れた集中力を注いでいたということです。そのため、日常の細かなことには注意が向かなくなってしまう。これは決して欠点ではなく、むしろ一つのことに深く打ち込める才能の表れなのです。

脳のメカニズムから見る「うっかり」の正体

最近の脳科学研究で分かってきたことですが、創造的な思考をしている時や、何か重要なことを考えている時、私たちの脳は「デフォルトモード」という状態に入ります。これは、外界への注意力を意図的に下げて、内面の思考に集中するモードです。

これは、まるで職人が作品制作に没頭している時の状態に似ています。陶芸家が轆轤を回している時、大工が精密な細工をしている時、その瞬間は周りの音も聞こえなくなるほど集中しています。そんな時に話しかけられても、すぐには反応できないものです。

現代のシニア世代の皆さんは、長年にわたってお仕事や家庭で責任ある立場を担ってこられました。そのため、物事を深く考える習慣が身についています。若い頃に培ったこの「深く考える力」が、時として日常の小さなことを見落とす原因になることがあるのです。

例えば、お孫さんの教育資金のことを真剣に考えながら銀行に向かっていて、通帳を持参するのを忘れてしまった。これは単なる物忘れではなく、大切な人のことを真剣に思っているからこその「うっかり」なのです。

また、脳は加齢とともに、より重要なことを優先的に処理するようになります。若い頃は細かなことにも注意を向けられましたが、人生経験を積むにつれて「本当に大切なこと」と「些細なこと」を自然に分別するようになるのです。これは知恵の表れでもあります。

日常に現れる愛すべき「抜け」のパターン

皆さんの日常生活でも、きっと思い当たる「うっかり」があるはずです。これらは決して恥ずかしいことではなく、むしろあなたの人柄を表す愛らしい特徴なのです。

お出かけの準備については、多くの方が経験されているのではないでしょうか。病院の予約券、お薬手帳、保険証、診察券、お財布。必要なものをひとつずつ丁寧に確認してバッグに入れたのに、肝心のメガネを忘れて家を出てしまう。駅に着いてから気づいて、慌てて取りに戻る。こんな経験は、真面目な方ほど多いものです。

これは、準備することに集中するあまり、身につけるものへの注意が向かなくなるためです。まるで、丁寧にお茶の道具を準備している時に、自分の着物の帯が少し緩んでいることに気づかないのと同じです。

お料理の場面でもよくあることです。お客様をお迎えするために、心を込めて何品ものお料理を準備する。味付けも盛り付けも完璧にできた。ところが、いざお出しする時になって、お箸やお皿の一部を用意し忘れていることに気づく。これは料理に心を注いでいたからこその「うっかり」です。

また、お孫さんとの約束や友人との待ち合わせの際にも、こんなことがあります。約束の時間や場所は完璧に覚えているのに、携帯電話を充電するのを忘れたり、待ち合わせ場所への道順を調べ忘れたり。これは相手のことを大切に思っているからこそ、細部への注意が散漫になってしまうのです。

最近では、デジタル機器との付き合い方でも「うっかり」が起こりがちです。お孫さんに写真を送ろうと思って、一生懸命メッセージを入力したのに、肝心の写真を添付し忘れてしまう。または、間違った相手に送ってしまう。これも、相手への思いやりが強いからこその出来事です。

実体験から学ぶ「うっかり」の温かさ

私が実際に見聞きした、心温まる「うっかり」エピソードをいくつかご紹介しましょう。これらの話を通じて、そんな「抜け」も人生の彩りの一つだということを感じていただければと思います。

ある地域のボランティア活動で、長年リーダーを務めていらっしゃる70代の女性の話です。月に一度の定例会で、毎回きちんと資料を準備し、議事進行も完璧にこなされる方でした。ところがある日、会議が始まってから、自分が用意した大切な資料を自宅のテーブルに置いたまま来てしまったことに気づきました。

一瞬焦られたそうですが、他の参加者の方々は「いつも完璧な資料を用意してくださるから、たまにはこんなこともありますよ」と笑顔でフォローし、その日は記憶を頼りに有意義な話し合いができたそうです。後でその方は「完璧でなくても、みんなで支え合えるということを改めて学びました」とおっしゃっていました。

また、退職後に趣味で始めた陶芸教室での出来事です。80代の男性が、毎回とても丁寧に作品を作られていました。ある日、前回作った花瓶に釉薬を塗る予定だったのですが、その花瓶を工房に持参するのを忘れてしまいました。ところが先生が「せっかくいらしたのだから、新しい作品を始めましょう」と提案してくださり、その日は急遽、お茶碗作りに挑戦することになりました。

完成したお茶碗が予想以上に美しく仕上がり、その方は「忘れ物のおかげで、新しい発見ができました」と喜んでいらっしゃいました。時には「うっかり」が新しい可能性を開いてくれることもあるのです。

デジタル時代の「うっかり」も、またほほえましいものです。70代のお母様が、お孫さんの運動会の写真をLINEで送ろうとして、間違えて近所の奥様に送ってしまいました。ところがその方も同世代のお孫さんをお持ちで、「素敵なお孫さんですね」というメッセージとともに、ご自分のお孫さんの写真を送り返してくださいました。それがきっかけで、お二人の交流が深まったそうです。

こうした「うっかり」は、時として人と人とのつながりを生み出す素敵な機会にもなるのです。完璧すぎる人よりも、少し抜けたところがある人の方が親しみやすく感じられるのは、こうした理由があるからかもしれません。

「うっかり」への上手な対処法

長年の人生経験から、多くの皆さんは既に様々な対処法を身につけていらっしゃることと思います。ここでは、そうした知恵をさらに活用するための方法をいくつかご提案させていただきます。

まず、チェックリストの活用です。これは昔から多くの方が実践されている方法ですが、デジタル時代の今、さらに便利に使えるようになりました。スマートフォンのメモ機能や、手帳のチェックボックスを使って、外出前や重要な約束の前に確認する項目をリスト化しておく。これだけで「うっかり」の多くは防げます。

ただし、このリスト作りにも工夫があります。項目が多すぎると、今度はリストを確認することそのものが負担になってしまいます。本当に大切な3つから5つの項目に絞って、簡潔にまとめることが重要です。

次に、「儀式化」という方法があります。これは、重要な行動を習慣として身につけることです。例えば、外出前には必ず玄関の鏡の前で「財布、鍵、携帯」と声に出して確認する。薬を飲む時間を食事と合わせて「いただきます」の前に必ず薬を手に取る。こうした小さな「儀式」を作ることで、忘れにくくなります。

この方法は、日本の伝統的な作法にも通じるものがあります。茶道の一連の所作や、武道の型なども、すべて「忘れないため」「間違えないため」の知恵が込められています。日常生活にこうした「型」を取り入れることで、自然に「うっかり」を防ぐことができます。

また、「見える化」も効果的です。大切なものを決まった場所に置く、明日の予定を目につくところに書いておく、服薬時間をカレンダーに赤丸で囲む。視覚に訴えることで、記憶を補強することができます。

特に、玄関周りの工夫は多くの方に有効です。外出に必要なものを玄関近くにまとめて置く場所を作る、鍵フックを目立つ場所に設置する、翌日の予定を玄関ドアに貼っておく。家を出る最後の瞬間に確認できるようにしておくのです。

人間関係の中での「うっかり」の活かし方

実は、「うっかり」は人間関係を深める素晴らしいきっかけにもなります。完璧な人よりも、少し抜けたところがある人の方が親しみやすく、助けたくなるものです。

お孫さんとの関係でも、おじいちゃんやおばあちゃんの「うっかり」は、愛らしいエピソードとして家族の絆を深めます。「おじいちゃんは携帯の操作を間違えて、同じメッセージを5回も送ってくる」「おばあちゃんは孫の名前を間違えて呼ぶけれど、愛情は誰よりも深い」。こうした話は、家族の中で愛をもって語り継がれるものです。

ご友人との関係でも同様です。お互いの「うっかり」をほほえましく受け入れ、フォローし合う関係は、とても温かいものです。「あの人はいつも約束の時間を15分間違えるから、最初から15分早く待ち合わせ時間を伝える」といった気配りも、長い友情の中で培われる知恵です。

また、地域のコミュニティ活動でも、お互いの「抜け」を補い合うことで、より強い結束が生まれます。Aさんは資料作りは得意だけれど時間管理が苦手、Bさんは準備は万端だけれど話すのが苦手、Cさんは明るく司会はできるけれど細かいことは忘れがち。それぞれの特徴を理解し、支え合うことで、素晴らしい活動ができるのです。

家族に「うっかり」な人がいる場合の接し方

もしご家族の中に「真面目だけど抜けている」方がいらっしゃる場合、どのように接すればよいでしょうか。まず大切なのは、それを責めるのではなく、その人の一生懸命さを理解することです。

「また忘れたの」ではなく「いつも一生懸命だから、こういうこともあるよね」という視点で見てみてください。そして、さりげないサポートを心がけることです。

例えば、配偶者が薬を飲み忘れがちな場合、「薬飲んだ?」と毎回聞くのではなく、一緒にお茶を飲む時間を作って、その時に自然に薬も一緒に飲むような習慣を作る。これなら、お互いにストレスなく続けられます。

また、その人が何に集中している時に「うっかり」が起こりやすいかを観察して、そのタイミングでさりげなくフォローする。お料理に夢中になっている時は、テーブルセッティングを代わりにしてあげる。読書に集中している時は、約束の時間を少し前に声をかけてあげる。こうした自然な連携が、長い夫婦生活や家族生活の知恵なのです。

そして何より大切なのは、「うっかり」も含めてその人を愛することです。完璧でないからこそ人間らしく、愛おしい存在なのです。

現代社会で「うっかり」と上手に付き合う知恵

現代は情報過多の時代です。スマートフォンには毎日たくさんの通知が届き、テレビやインターネットからは次々と新しい情報が流れてきます。このような環境では、以前にも増して「うっかり」が起こりやすくなっています。

しかし、これは決して悪いことばかりではありません。情報が多すぎる時代だからこそ、本当に大切なことに集中する能力がより重要になっているのです。皆さんが長年培ってこられた「物事の優先順位をつける力」は、現代社会においてとても貴重な能力なのです。

デジタル機器を使う際も、完璧を求めすぎる必要はありません。LINEの誤送信や、メールの宛先間違いも、時には新しいコミュニケーションの始まりになることがあります。「間違えても大丈夫」という心の余裕を持つことが大切です。

また、若い世代の方々と接する時も、お互いの「うっかり」を理解し合うことで、世代を超えた良い関係を築くことができます。シニア世代の方がデジタル機器で「うっかり」をするように、若い方々も人生経験の面では「うっかり」をすることがあります。お互いに学び合い、支え合える関係を築いていけばよいのです。

「うっかり」を個性として受け入れる大切さ

人生を重ねてこられた皆さんなら、既にお気づきのことと思いますが、人間には完璧な人などいません。誰もがそれぞれに得意なことと苦手なことがあり、その組み合わせがその人の個性を作っています。

「真面目だけど抜けている」ということも、立派な個性の一つです。物事に真剣に取り組む姿勢と、どこか憎めない人間らしさを併せ持つ。これは多くの人に愛される素晴らしい特徴なのです。

若い頃は、そんな自分を恥ずかしく思ったり、直そうと必死になったりしたかもしれません。しかし、人生経験を積んだ今だからこそ分かることがあります。それは、完璧でない自分も含めて受け入れることの大切さです。

「うっかり」をしてしまった時も、自分を責めすぎる必要はありません。「ああ、また私らしいことをしてしまった」と笑って受け流す余裕こそが、人生の智慧なのです。

そして、同じような「うっかり」をする人を見かけた時は、温かい目で見守り、必要であれば自然にサポートする。そんな優しさが、社会全体をより住みやすいものにしていくのです。