シニアからのはるめくせかい

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「思わせぶりなんてしてるつもりは全くないのに」誤解されてしまうシニアの対処法

人生の後半を迎えた今、配偶者を亡くされた方、あるいは長年連れ添ったパートナーと二人で穏やかな日々を送られている方、それぞれの人生を歩んでいらっしゃることと思います。そんな中で、地域の活動やカルチャースクール、趣味のサークルなどで新しい友人関係が広がっていく。とても素敵なことですよね。でも、そこで時々起こる小さな誤解。「あの人、私に気があるのかしら」「もしかして、あの方は私のことを特別に思ってくれているのかも」。そんな勘違いが生まれてしまうこと、実はシニア世代にこそ、よくあるお話なんです。

今日は、「思わせぶりなんてしてるつもりは全くないのに」誤解されてしまう、そんな切ない出来事について、皆さんと一緒に考えていきたいと思います。年を重ねたからこその優しさや思いやりが、時に相手の心を揺さぶってしまう。それは決して悪いことではないのですが、お互いに傷つかないために、知っておいていただきたいことがあるんです。

まず、なぜこういった誤解が生まれやすいのか、その背景を考えてみましょう。私たちシニア世代は、若い頃に比べて、人との接し方が格段に優しくなっているんですね。若い頃は恥ずかしさもあって、素直に「ありがとう」とか「助かったわ」とか言えなかったことも、今は自然に言葉にできるようになりました。人生経験を重ねて、相手の気持ちを汲み取ることも上手になりましたし、困っている人がいたら放っておけない。そういう温かさが、自然と身についているんです。

でも、その優しさこそが、時に誤解を生んでしまう原因になるんですね。特に、配偶者を亡くされて独り身になった方同士が出会った時、あるいは長年のパートナーと死別や離別を経験した方が、久しぶりに異性と触れ合う機会を持った時。そんな時に、相手の何気ない優しさが、特別な好意に見えてしまうことがあるんです。

例えば、地域の集まりで知り合った異性の方と、たまたま二人きりでお茶を飲む機会があったとします。若い頃なら、二人きりで会うなんて、それだけで特別な意味があると思われても仕方ないかもしれません。でも、私たちの年齢になると、「ちょっとお茶でも」という気軽さがありますよね。「あの園芸の話、もう少し詳しく聞きたいから」とか、「この前のカラオケサークルの件で相談があって」とか。本当に純粋な用事や、友人としての興味から誘っているだけなんです。

ところが、誘われた方は、どう受け取るか。「私を、わざわざ誘ってくれた」「二人きりで会いたいと言ってくれた」「もしかして、特別に思ってくれているのかしら」と、心が浮き立ってしまうことがあるんです。特に、長年連れ添った配偶者と死別して、しばらく寂しい日々を過ごしていた方にとっては、久しぶりに感じる異性からの温かな言葉や誘いが、とても新鮮で、嬉しくて、特別なものに感じられてしまうんですね。

また、目を見て話すという行為も、誤解を招きやすいものの一つです。私たちの世代は、相手の話を聞く時、きちんと目を見て聞くように育てられてきました。それが礼儀であり、相手への敬意の表れだと。だから、カルチャースクールで隣に座った方が、趣味の話や最近の出来事を話してくれた時、自然と相手の目を見て、頷きながら聞いているんです。「へぇ、そうなんですか」「それは大変でしたね」と相槌を打ちながら、真剣に耳を傾ける。

でも、相手から見ると、その真剣な眼差しが、とても温かく感じられることがあるんです。「この人は、私の話をこんなに真剣に聞いてくれる」「私のことを、本当に理解しようとしてくれている」と。特に、家族からは「また同じ話?」と言われてしまうような自分の思い出話や、ちょっとした日常の出来事を、こんなに一生懸命聞いてくれる人がいる。それだけで、心が満たされて、その人のことを特別に感じてしまうんですね。

連絡をマメに取る、というのも誤解されやすい行動です。今の時代、スマートフォンを使われている方も多いですよね。LINEやメールで、気軽にやり取りができる。「今日は良いお天気ですね」とか、「この前話していた花、うちの庭にも咲きましたよ」とか。何気ない日常の報告を、写真と一緒に送る。それは、単純に「誰かとつながっていたい」という気持ちからで、特定の誰かに恋愛感情を抱いているわけではないんです。

でも、受け取った方は、「私にだけ、こんなにマメに連絡をくれる」「毎日のように、私のことを思い出してくれているんだ」と感じてしまうことがあります。実際には、他の友人にも同じように連絡しているかもしれないし、単に連絡が好きな性格なだけかもしれないのに。特に、普段あまり連絡を取り合う習慣がない方にとっては、頻繁なメッセージのやり取り自体が、とても特別なことに感じられてしまうんですね。

ここで少し、面白いお話をさせていただきますね。実は、昔の日本では「文通」という文化がありました。今の若い方には信じられないかもしれませんが、手紙を書いて郵送して、返事が来るのを心待ちにする。そんな時代がありましたよね。その時代、頻繁に手紙を交わすということは、かなり親密な関係を意味していました。でも今は、スマホでポンポンとメッセージを送り合う。時代が変わって、コミュニケーションの頻度に対する価値観も大きく変わったんです。ところが、私たちシニア世代の心の中には、まだあの「手紙の時代」の感覚が残っているんですね。だから、「こんなにマメに連絡をくれる」ということが、若い人が思う以上に重みを持って感じられてしまうことがあるんです。

さて、身体的な距離の取り方についても、お話ししておきたいと思います。私たちの世代、特に女性の方は、相手の肩に手を置いたり、腕に触れたりといった、軽いボディタッチを自然にされる方がいらっしゃいます。これは、親愛の情の表れで、まるで孫に接するような、あるいは家族のような温かさから来るものなんです。「大丈夫よ」と言いながら、相手の背中を優しく叩く。「頑張ってるわね」と言いながら、肩をポンポンとする。

でも、そういった身体的な接触に慣れていない方、特に男性の方は、それを特別な好意のサインと受け取ってしまうことがあります。「こんなに近くに来てくれた」「触れてくれた」ということが、心の中で大きく膨らんでしまうんですね。本当は、その方にとっては誰にでもする自然な行為なのに、受け取る側は「私だけに、こんなに優しくしてくれる」と思い込んでしまう。

褒め言葉についても、同じことが言えます。「その服、お似合いですね」とか、「今日も元気そうで良かったわ」とか。私たちシニア世代は、社交辞令として、あるいは本心から、相手を褒めることが自然にできるようになっています。若い頃は恥ずかしくて言えなかった言葉も、今は素直に口にできる。それは、人生経験を重ねて、相手を喜ばせることの大切さを知っているからなんですね。

でも、普段あまり褒められることのない方にとっては、そういった言葉が胸に深く響いてしまうことがあります。配偶者とも長年一緒にいて、お互い褒め合うようなこともなくなっていた。あるいは、一人暮らしで、誰からも「元気そうね」なんて言われることもなかった。そんな方が、誰かから温かい言葉をかけられた時、その言葉が心に染み渡って、その人のことを特別に感じてしまうんです。

ある女性の体験談をご紹介しましょう。彼女は70代で、夫と死別してから5年ほど経っていました。地域のボランティア活動に参加するようになり、そこで同世代の男性と知り合いました。その男性は、いつも彼女の意見を真剣に聞いてくれて、「あなたの考え方は素晴らしいですね」と褒めてくれました。ボランティアの後、「お疲れ様でした」と声をかけ合い、時には一緒にバスで帰ることもありました。

彼女は、「この方は、私のことを理解してくれる友人ができた」と喜んでいました。二人きりでお茶をする機会もあり、お互いの近況や、亡くなった配偶者の思い出話などをしていました。彼女にとっては、同じような境遇の友人として、とても貴重な存在でした。ところがある日、その男性から突然、「実は、あなたのことがずっと気になっていました。もし良かったら、これからもっと親しくお付き合いしていただけませんか」と、真剣な表情で告白されたんです。

彼女は本当に驚きました。自分は友人として接していただけなのに、相手は恋愛感情を抱いていた。「私の何がそう思わせてしまったんだろう」と振り返ってみると、確かに自分から誘ってお茶に行ったこともあったし、彼の話を熱心に聞いていたし、「いつも頼りにしていますよ」なんて言葉をかけたこともありました。でも、それは全て友人としての気持ちからで、恋愛感情なんて全くなかったんです。

彼女は、相手を傷つけないように、でもはっきりと「私はあなたを大切な友人だと思っています。でも、それ以上の気持ちはないんです」と伝えました。男性は落胆した様子でしたが、理解してくれました。ただ、その後、二人の関係は少しぎこちなくなってしまい、以前のように気軽に話すことができなくなってしまった、とのことでした。

この話から学べることは、善意や友情の表現が、相手にとっては恋愛感情のサインと受け取られることがあるということです。特に、私たちシニア世代は、人生の後半戦に入り、孤独を感じている方も多いです。配偶者を亡くして、子どもたちは独立して、日常的に深い会話をする相手がいない。そんな時に、誰かが自分に優しくしてくれる、自分の話を聞いてくれる、自分のことを気にかけてくれる。それだけで、その人が特別な存在に見えてしまうことがあるんですね。

では、どうすればこういった誤解を防げるのでしょうか。まず大切なのは、相手との関係性をはっきりさせることです。「友人として大切に思っています」とか、「同じ趣味を持つ仲間として嬉しいです」とか。言葉にして伝えることで、相手も「ああ、この人は友人として接してくれているんだな」と理解しやすくなります。

また、他の人にも同じように接していることを、さりげなく示すことも効果的です。「私、誰にでもこうなんですよ」とか、「昔からおせっかい焼きな性格で」とか。自分の性格や行動パターンを説明することで、「自分だけに特別なわけじゃないんだ」と相手に理解してもらえます。

そして、もし相手から告白されてしまった場合は、誠実に、でも優しく断ることが大切です。相手は勇気を出して気持ちを伝えてくれたわけですから、その気持ちは尊重しながらも、「でも、私はあなたを友人として大切に思っているので、それ以上の関係は考えられません」とはっきり伝える。曖昧な態度は、かえって相手を傷つけることになりますからね。

逆に、もしあなたが「あの人、私に気があるのかしら」と感じることがあったら、一度冷静に考えてみることも大切です。その人は、他の人にも同じように接していませんか。あなただけに特別な態度を取っているわけではないかもしれません。自分の寂しさや、誰かに必要とされたいという気持ちが、相手の行動を特別なものに見せている可能性もあります。

シニアの恋愛が悪いと言っているわけでは、決してありません。人生のどの段階でも、素敵な出会いがあって、心が通じ合う関係が築けるのは、素晴らしいことです。実際、配偶者を亡くされた後に、新しいパートナーと出会って、人生の残りの時間を幸せに過ごされている方もたくさんいらっしゃいます。

ただ、そういった関係は、お互いがきちんと気持ちを確認し合ってから進めるべきものです。一方的な思い込みで突っ走ってしまうと、相手を困らせてしまうだけでなく、自分自身も傷ついてしまいます。だからこそ、相手の優しさを「特別な好意」と勘違いする前に、本当にそうなのか、冷静に見極める目が必要なんです。

また、自分が誤解を与えないように気をつけることも大切ですが、過度に警戒する必要はありません。「誤解されるかもしれないから、優しくするのはやめよう」なんて思う必要はないんです。優しさや思いやりは、人間関係を豊かにしてくれる大切なものですから。ただ、相手がどう受け取るかということに、少しだけ意識を向けておく。それだけで、お互いに気持ちよく付き合える関係が築けるはずです。

人生の後半を迎えた今だからこそ、新しい友人関係や、心温まる交流を大切にしていきたいですよね。地域のコミュニティでの活動、趣味のサークル、カルチャースクール。そういった場所での出会いは、老後の生活を豊かにしてくれる宝物です。だからこそ、誤解やトラブルで、せっかくの関係を壊してしまうのは、とてももったいないことです。

お互いの気持ちを尊重し合い、適切な距離感を保ちながら、温かい人間関係を築いていく。それが、私たちシニア世代の、成熟した大人の付き合い方なのではないでしょうか。思わせぶりなんてしてないのに誤解されてしまった経験がある方も、逆に相手の優しさを特別なものと勘違いしてしまった経験がある方も、この記事が少しでも参考になれば嬉しいです。