シニアからのはるめくせかい

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シニア世代人生の晩秋に学ぶ、許せない心との向き合い方

長い人生を歩んでこられた皆さんなら、きっと一度は経験されたことがあるでしょう。心の奥深くに刻まれた、消えることのない怒りや悲しみ。特に、愛する人から受けた裏切りや傷は、まるで古い傷跡のように、何年経っても時折痛みを感じさせるものです。

「許せない」という感情は、決して悪いものではありません。それは、あなたが受けた痛みがそれだけ深く、真剣に相手を愛していた証拠でもあるのです。私たちシニア世代は、若い頃から様々な人間関係を経験し、時には深く傷つけられることもありました。戦後復興期の混乱の中で、高度経済成長の波に翻弄されながら、バブル期の華やかさとその崩壊を見つめてきた私たちだからこそ、人間の複雑さと、感情の移ろいやすさを身をもって知っているのではないでしょうか。

昔から「時薬」という言葉がありますが、本当に時間が全ての傷を癒してくれるのでしょうか。また、許すことができないまま人生を終えることは、果たして不幸なことなのでしょうか。今日は、そのような深い問いに、実際の体験談を交えながら向き合ってみたいと思います。

恋愛における深い傷は、まるで心に刺さった棘のようなものかもしれません。抜こうとすれば痛みが走り、そのままにしておけば時々疼く。でも、その棘があることで、私たちは同じような危険から身を守ることができるのかもしれません。

まず多くの方が経験されるのが、「時間とともに感情が和らぎ、許せるようになる」というパターンです。これは、まるで激流だった川が、やがて穏やかな流れになるようなものかもしれません。

ある女性の体験談をお聞きください。現在七十代のその方は、四十代の頃の恋愛について、こう振り返ります。「あの人にひどい裏切られ方をした時は、本当に世界が終わったような気持ちでした。夜も眠れず、食事も喉を通らない日が何ヶ月も続きました」

その女性の声には、当時の苦しみが今でも微かににじんでいます。「彼とは職場で知り合いました。優しくて、いつも私のことを気にかけてくれる人だと思っていました。でも、実は彼には別に本命の女性がいて、私はただの気晴らしだったんです。それを知った時の衝撃は、今でも忘れられません」

裏切りを知った瞬間の心境を、その女性はこう表現します。「まるで足元の地面が突然崩れ落ちたような感覚でした。今まで信じていたものが全て嘘だったと知った時、私は何を信じて生きていけばいいのかわからなくなりました」

その後の日々は、まさに地獄のようなものでした。「彼の顔を見るのも、名前を聞くのも嫌で、共通の友人とも会えなくなりました。職場でも彼を避けて歩き、結局は転職することになりました。私の人生が、あの出来事を中心に回っているような状態が何年も続いたんです」

このような状況は、多くの方が経験されることでしょう。愛する人からの裏切りは、単なる恋愛の終わりではなく、自分の人生そのものを揺るがす大きな出来事になってしまうことがあります。特に私たちの世代では、恋愛に対する真剣さや一途さが、現代よりもずっと強かったため、その分裏切られた時の衝撃も大きかったのではないでしょうか。

しかし、時の流れは不思議なものです。その女性にとっての転機は、意外なところから訪れました。「五年ほど経った頃でしょうか。ふと鏡を見た時、自分の顔がとても疲れて見えたんです。『私はいつまでこんなことを考えているんだろう?』と、はっとしました」

その瞬間、彼女の心の中で何かが変わりました。「彼のことを憎んでいる時間は、私が新しい幸せを見つける時間を奪っているんだと気づいたんです。彼を許すか許さないかではなく、彼に支配されている自分を解放したいと思いました」

それからの彼女の行動は、まさに人生の大転換でした。「新しい趣味として茶道を始めました。最初は気持ちを紛らわすためでしたが、だんだんその世界の奥深さに魅せられていきました。また、昔からの友人たちとの関係も修復し、一緒に旅行に出かけたりするようになりました」

仕事においても、新天地での彼女は水を得た魚のように活躍しました。「前の職場では彼のことが気になって集中できませんでしたが、新しい環境では本来の実力を発揮できました。責任ある仕事を任されることも多くなり、仕事に打ち込むことで自分自身の価値を再発見できたんです」

そして、運命の瞬間が訪れました。「十年ほど経ったある日、たまたま彼のことを耳にしました。結婚して、子供もいて、幸せに暮らしているということでした。以前なら、怒りや憎しみ、そして複雑な嫉妬心がこみ上げてきたでしょう。でも、その時の私は『ああ、そうなんですね』と、まるで遠い知り合いの話を聞くような気持ちでした」

この変化に、彼女自身も驚いたといいます。「許したわけではないんです。でも、もうどうでもよくなっていました。彼を許すのではなく、彼に縛られていた自分を解放できたのだと思います。それが私にとっての、あの恋愛の本当の終わりでした」

現在の彼女は、穏やかな笑顔でこう語ります。「あの経験は確かに辛いものでしたが、今思えば私を強くしてくれました。人を見る目も養われましたし、自分一人でも幸せに生きていけるという自信もつきました。若い頃は『許せない』という感情に支配されていましたが、年を重ねるにつれて、そんな感情も人生の一部なのだと受け入れられるようになりました」

一方で、全く異なるアプローチを取る方もいらっしゃいます。それが「許さずとも、自分の人生を歩み始める」というパターンです。これは、許すことを諦めるのではなく、許せない自分を受け入れながらも、それに支配されない生き方を選ぶということです。

ある男性の体験談をご紹介しましょう。現在六十代後半のその方は、若い頃の恋愛で深い心の傷を負いました。「付き合っていた女性は、とても美しくて魅力的な人でした。でも、私をコントロールするのが上手な人でもありました」

その男性の声には、今でも当時の混乱が感じられます。「『あなたって本当にダメな人ね』『私がいなかったら何もできないでしょう』『そんなことも理解できないの?』毎日のように、私の自信を削るような言葉を投げかけられました。でも、彼女を愛していた私は、それが愛情表現の一種だと思い込んでいました」

ここで、興味深いエピソードをお話ししましょう。昭和の時代、実は精神的DVという概念はほとんど知られていませんでした。身体的な暴力がなければ、言葉による支配や操作は恋愛の範囲内と考えられることが多かったのです。しかし、現在では心理的な虐待も深刻な問題として認識されています。この男性の経験も、まさにそのような時代背景の中で起こったことでした。

「別れた後も、彼女の言葉が呪いのように頭の中で繰り返されました。新しいことに挑戦しようとする度に、『どうせあなたには無理よ』という彼女の声が聞こえてくるんです。許せない気持ちでいっぱいでした」

多くの人は、このような状況で「許すことが大切」と考えがちです。しかし、この男性は違う道を選びました。「彼女を許そうと何度も努力しましたが、どうしてもできませんでした。無理に許そうとすると、また彼女に支配されるような気がして怖かったんです」

そこで彼が出した結論は、驚くほど明快でした。「『無理に許さなくていい』と自分に言い聞かせることにしました。許せない自分も、私の一部として受け入れようと決めたんです」

この決断が、彼の人生を大きく変えることになりました。「代わりに、彼女の呪縛から解放されるために、自分の人生を取り戻すことに集中しました。彼女に言われた言葉とは反対の行動をしてみることにしたんです」

具体的な行動は、まさに自己回復のプロセスそのものでした。「彼女は私のことを『文化的な教養がない』と馬鹿にしていました。そこで、美術館巡りを始めました。最初はよくわからなかったけれど、だんだん絵画の美しさがわかるようになってきました。また、『あなたは一人では何もできない』と言われていたので、一人旅にも挑戦しました」

その男性の目は、当時を思い出すように輝いていました。「初めての一人旅は京都でした。誰にも気を遣わず、自分のペースで寺院を回り、好きなものを食べ、好きな時間に休む。こんなに自由で平和な時間があるのだと、心から感動しました」

時間が経つにつれて、変化は確実に現れました。「少しずつですが、自分に自信が持てるようになりました。彼女のことを許したわけではありませんが、彼女の存在が私の人生の中心ではなくなりました」

現在の彼は、この経験についてこう総括します。「許せない感情は、私が二度と同じ過ちを繰り返さないための戒めなんだと思っています。その感情があるからこそ、今の私は強く生きられているのかもしれません。無理に許そうとしなくても、自分らしい人生は歩めるということを学びました」

これら二つの体験談から、私たちが学べることは何でしょうか。許すか許さないかという二択ではなく、それぞれの人にとって最適な感情との向き合い方があるということではないでしょうか。

私たちシニア世代は、人生の様々な場面で理不尽な扱いを受けたり、深く傷つけられたりした経験を持っています。戦後の混乱期には、信じていた人に裏切られることもあったでしょう。高度経済成長期には、競争社会の中で人間関係が複雑になることもありました。そして、バブル崩壊後の不況期には、長年築いてきた関係が一夜にして変わってしまうことも経験しました。

そのような時代を生き抜いてきた私たちだからこそ、感情との向き合い方について、若い世代に伝えられることがあるのではないでしょうか。

まず大切なのは、「許せない」という感情を持つ自分を責めないことです。それは自然で健全な反応であり、あなたの人間らしさの表れでもあります。無理に聖人君子になる必要はありません。

次に、その感情に支配されすぎないよう注意することです。怒りや憎しみは、適度であれば私たちを守ってくれますが、過度になると私たち自身を蝕んでしまいます。まるで薬と毒の関係のように、量が問題なのです。

そして、時間の力を信じることです。私たちの感情は、季節のように変化します。今は冬のように厳しく感じられても、必ず春は来ます。ただし、その春がいつ来るかは人それぞれです。焦る必要はありません。

また、許すことと忘れることは違うということも理解しておきましょう。許したからといって、相手の行為が正当化されるわけではありません。また、忘れなくても、その記憶に支配されない生き方は可能です。

人生の後半戦を迎えた私たちにとって、過去の傷と向き合うことは避けて通れない課題かもしれません。でも、その傷があるからこそ、人の痛みがわかり、優しさを持てるようになったという面もあるのではないでしょうか。

若い世代に向けて、私たちが伝えられるメッセージがあるとすれば、それは「完璧でなくても大丈夫」ということかもしれません。許せない気持ちを持ちながらも、幸せに生きることは可能です。大切なのは、その感情に人生を乗っ取られないよう、上手に付き合っていくことなのです。

また、専門家の力を借りることも有効な選択肢です。カウンセリングや心理療法は、現在では多くの人が利用しています。一人で抱え込まず、必要に応じて専門的な支援を求めることは、決して恥ずかしいことではありません。